"フォード「貧乏人をガンガン雇え。一番安いT型ぐらいは買える給料を出してやる。ユーザーを自分らで作るぞ」
シトロ「荷馬車に乗ってる田舎の農民にクルマを売るのだ。
今までのクルマの三割の値段で、丈夫で農家の主婦にも運転できるクルマを作るぞ」
タタ 「貧乏人は車に乗れない?だったらウチが、原チャリしか買えない貧乏人にも買えるクルマを作ってやる」
トヨタ「若者向けのSNSを作ったからクルマ買ってくれよー」
クルマ屋として、情熱のレベルに次元の差がありすぎる。
※最近はドラえもんを模したCMで車を持たないとのび太扱いされます"
"混乱しているのは頭だけ。疲弊しているのは身体だけ。不足しているのは資金だけ。枯渇しているのは才能だけ。大丈夫や。俺は絶対に大丈夫や。"
"苦しみが再び楽しみに変わるという瞬間に出会える権利"
"tumblrとかtwitterとかで、どこからか引用してきた大量の素材でページを形成していると、それが人格の発露と見なされる。
行き着く先は映画「イノセンス」か。ネット出現以前の古典の引用だけが意味あるものとして見なされるような。
いや、コミュニケーションにおける攻撃と防御を突き詰めた果てに出現する、「誰も自分の言葉で会話しようとしない世界」かも。"
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YouTubeが出だしの頃、スターウォーズ関連動画が一斉に消されるという事件があって、それに対して、当のルーカスが、ファンが作ったものを消すなんてけしからん!ってぶち切れたって話がありました。
そうだよねえ、ルーカス。やっぱあんたえらいよ。そのおかげでこんなすごいものができたんだものねえ。
ついでに書いておくと、ルーカスはスターウォーズ上映時、フォックスに何を言われても、キャラクターの版権だけはゆずらなくて、それをファンが買いまくったおかげで、その後のスターウォーズなり、ルーカスフィルムの繁栄があるわけです。
うっかり忘れそうになりますが、スターウォーズって、自主制作映画ですから(世界最大だけど)。
それが実現できているのは、ファンのおかげだから、ルーカスさんは無粋なことしない。だから、またファンの愛が広がっていく。
ルーカスさん見逃してるなんてレベルじゃないものね、もっとやれって言ってるんだものね。
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"駅構内のB倍ポスターに、こんなキャッチコピーがあった。
「インターネットを通じて、世界をより良くする」
GREEの企業広告だ。時期的にいって、リクルーティングを意識しているのだろう。ちなみにこのコピーは、いわゆる
「コーポレートメッセージ」のようだ。隣には英語のポスターもある。
ただ、読んでみても「どうやって世界を良くするの?」ということはわからない。あまりにも抽象的だ。他のネット関連企業のステートメントだとしてもおかしくはない。
そんなことを思いながら、ホームに上がり電車に乗った。
額面広告はすべて「ドリランド」だった。GREEの提供するサービスだ。右も左も「ドッドッドリランド」。まあ、そのセンスとかは特にコメントしない。
ただ、ドリランドは紛れもなくGREEのインターネットサービスなので、先のメッセージに「ドリランド」を代入してみてもいいんだろう。すると、こうなる。
「ドッドッドリランドを通じて、世界をより良くする」
それで、世界が良くなるんだろう、きっと。
理念は素晴らしい。でも上半身と下半身の人格がネジレを起こしているような感じだ。
「ドリランドで、世界はこんなによくなった」
いつかの将来、そんな報告がされることを、僕たちは期待していていいのだろうか。"
"去年の夏ぐらいから、任天堂が得意とする6〜12才ぐらいの子供たちが遊ぶデバイスが、Nintendo (3)DSから、iPod touch へと目に見えてはっきりと置き換わって来たのだ。そんな親に聞くと、ほとんど決まって「私の iPhone でAngry Bird を遊びたがって、返してくれないので、しかたがないから iPod touch を買い与えた」という答えが返ってくる。"
"若者の間ではこの歌詞に対して「なんで学校辞めて働かないの?」っていう疑問がぬぐえないらしいな
いまどき高校生でもネット通販の会社起こしたりしてマンション買ってる奴もいるから束縛されてるっていう前提が通用しないんだな
俺が知り合った女子高生もなんか設計図の図面?起こすバイトで俺より稼いでたw"
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とりあえず流行ってる人(この場合は橋下さん)を連れてきて、とりあえずそれを批判している人たち(山口二郎とか香山リカとか内田なんとか)も、言ってることが正しいかは抜きにして並べといて「ほら、俺って立派な両論併記」と斜に構えている部分が、テレビや週刊誌には少なからずある。
極論すると、一方がダイヤモンドであったとしても、片方はそこらへんに転がっている石っころを拾ってきて並べただけかもしれない。言葉は悪いかもしれないが、あれだけ散々人を批判しておいて、(論者によっては)本まで出しておきながら、いざ面と向き合ったらマトモな対案一つ持ち合わせないような人たちは、はっきりいえば石っころだろう。そういう石っころを有り難がってひな壇に並べ、電波を垂れ流してきたメディアは、石っころが石っころだと見抜けないほどレベルが低かったというわけだ。
橋下氏は、恐らくそういった構図を理解した上で、確実に勝てるとふんだ相手を四角いジャングルの上で公開処刑しているのだろう。少なくとも現在、氏を批判している論者の中で石っころでない人(政策的に議論できる人)は見当たらないので、氏の無敵状態は当分の間続くはずだ。テレビ的にもそれはなかなか魅力的なコンテンツに違いない。なにせ、大学教授の肩書の上にふんぞりかえったヒールが、無様に叩きのめされる殺人ショーだから。
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